日本人街旧跡
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ハバロフ発:日本人居留民ゆかりの場所「初代在ハバロフスク日本総領事館」
中心街にある大正元年建造の黄色い建物。革命前、実業家のべリャーエフ所有の賃貸建築として使われた。大正15年11月28日から昭和13年8月3日まで初代在ハバロフスク日本総領事館として使用された。在ハバロフスク総領事館設置後 […]
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ハバロフ発:日本人居留民ゆかりの場所「旧富豪ピヤンコフ兄弟の邸宅(旧特務機関ハバロフスク支部)」
1908年/明治41年建造の富豪ピヤンコフ兄弟の邸宅。1914年/大正3年より賃貸建築として使われていた。大正10年12月より日本特務機関ハバロフスク支部が置かれ、11年5月に閉鎖され、職員全員がハルビンへ移転した。その […]
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ハバロフ発:日本人居留民ゆかりの場所「旧パホルーコフ家の邸宅(旧特務機関ハバロフスク支部)」
明治43年建造のパホルーコフ家の邸宅。1919年/大正8年6月より1920年/大正9年10下旬まで在ハバロフスク日本帝国領事館が置かれていた。初代領事を務めたのは杉野鋒太郎と郡司智麿の2名である。また1919年/大正8年 […]
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ハバロフ発:日本人居留民ゆかりの場所「旧日本の派遣軍師団長の官邸 」
1884年/明治17年に元地方総督官邸として建てられ、1950~60年代に何回も建て直された。シベリア出兵時代、日本派遣軍の師団長の官邸として借用された。とりわけ1918年(大正7年)9月から第12師団長大井成元大将、つ […]
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ハバロフ発:日本人居留民ゆかりの場所「旧ロシア帝国国立銀行ハバロフスク支店」
1907年/明治40年にロシア帝国国立銀行ハバロフスク支店として建造された。シベリア出兵時は、ここに重量600キロの金塊(黄金)が保管されていた。これはロシア・ロマノフ王朝の黄金の一部。帝政ロシア黄金をめぐる日ロ間のスキ […]
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ハバロフ発:日本人居留民ゆかりの場所「第14師団司令部」
明治35年建造の旧実科中学校。大正9年4月5日のハバロフスク武装解除事件が起こった後、第14師団司令部が置かれている建築は、パルチザンによる発砲の結果、損害を受けた。それ故に同司令部はニコラエフスカヤ広場方面に移り、大正 […]
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ハバロフ発:日本人居留民ゆかりの場所「第14師団司令部(大正8年4月~大正9年4月)」
建物は1884年/明治17年に建てられ、帝政ロシアの同市駐屯部隊の将校集会所として使われた。ロシア帝政時代、軍人、政治家、小説家などロシアの要人がここを訪れた。1890年/明治23年に劇作家・短編小説家チェーホフもモスク […]
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ハバロフ発:日本人居留民ゆかりの場所「第12師団司令部」
1903年/明治36年建造の旧幼年学校。1918年/大正7年9月から翌年4-5月にかけて日本派遣軍の第12師団司令部(師団長大井成元大将)として借用された。現在は極東軍管区の司令部。シベリア出兵に際して大正7年8月初旬、 […]
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ハバロフ発:日本人居留民ゆかりの場所「ハバロフスク駅」
1897年/明治30年、シベリア鉄道の区間の1つといわれるウラジオストクとハバロフスク間のウスリー鉄道全線(路線距離772kmの区間)が開通し、9月1日にハバロフスク駅でウラジオストック始発列車の到着式典が行なわれ、その […]
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ハバロフ発:日本人居留民ゆかりの場所「ロマノフ王朝創立300年祭紀念哈府博覧会(現在地はデイナモ公園)」
1913年/大正2年7月15日~9月15日にかけてハバロフスクではロマノフ王朝創立300年祭紀念博覧会が開催され、会場には本館を始めシベリア各地館、移民館、農工業館並びにチューリン商会、ピャンコーフ商会、クンストアルベル […]